事件ファイルその1〜YO・CODE〜ハナミズキの謎〜

 あなたは謎解きはお好きだろうか。たとえば推理小説などはどうだろうか。
 推理小説の醍醐味はなんといっても種明かしが始まる前に、与えられた情報をもとに犯人を特定することにある。そして読み進むうちにやがて自分が睨んだとおりの人物が犯人だったと解るとき、何ともいえぬ快感を覚える。
 優れた推理小説には、必ず読者にただ一人の人物が犯人であることを裏付ける証拠がその中に織り交ぜてある。つまり、そうでない人物を一人一人消去してゆくと必ず犯人一人が残るようになっている。

 方程式を解くことはどうだろうか。
 x、y、zなどにはそれぞれ必ずただ一つの同じ数字が入るはずである。一見正解に思えても、たった一つでも間違ったものが入っていると最後に答えが合わなくなる。
 すべてに正しい数字が入り、完璧な計算式ができるとやはり推理小説の犯人が特定できたときのような快感を覚える。

 私も謎解きは好きである。

 しかしまさか一つの曲の歌詞の中にそのような謎解きの楽しみが隠されていようとは思いもよらなかった。

 70年代のフォークソングなどの多く(例えば『神田川』『なごり雪』など)はドラマ仕立てに作られており、聴く人は誰もその意味の理解に苦しむようなことはなかった。
 80年代以降のニューミュージックになるとやや意味が曖昧になる。しかしそれは謎を持たせるというより、わざと少ない情報しか提供せず、聴く人がそれぞれ自分の体験に当てはめながら聴き、感情移入しやすくすることを狙ったものである。(例えばオフコースの『I Love You』という歌には「ああ早く、九月になれば…」という歌詞が出てくるが、言葉はそこで終わってしまう。九月になったらどうなるのか、作者の境遇など聴いている人に解るはずもなく、そこは各自の境遇とだぶらせながら聴いてください、ということである)
 もともと意味のわからない歌詞の歌もある。井上陽水の曲(『東へ西へ』『アジアの純真』)などは何の関連もない言葉を羅列し、感性に訴えることを狙っている。言葉によるシュールレアリズムと言ってもいいだろう。

 しかし、最近聴いたある曲の歌詞は、私がこれまでに聴いたいかなる歌の歌詞とも異なっていた。

 それは一青窈『ハナミズキ』という曲である。

 大ヒットしたこの曲のCDを遅ればせながら私は車のステレオに入れ、しばらく聴いて楽しんでいた。当初、この曲もまた最近の多くの曲と同様、聴く人が自由に解釈して楽しめるようなものだろうと思っていた。しかし、歌を聴きながら口ずさんでいると、何と歌っているのかどうしても聞き取れない部分がある。何と言っているのだろう…。

 私は歌詞カードを見てみた。

 聞き取れないのではなかった。そこには前後の歌詞からは全く浮かんでくるはずもない、意味不明の言葉が用いられていたのだ。その言葉は私をひどく戸惑わせた。
 同時にそれは、陽水の歌のように感性にではなく、私の理性に強烈に訴えてきたのだ。「わたしの意味を考えて!理解して!」と。

 そしてその声に導かれるまま、私の思考ははこの詩の迷宮の中へと迷い込んでいったのである。

 正直言ってこの謎解きは困難を極めた。しかしそれを終えた今、私は何ともいえぬ快感を感じている。そう、推理小説の犯人を特定できたときのような、方程式の解を見つけたときのような…。

 私は自分なりの解にたどり着いた後、インターネット上に果たして正解が公開されていないかと検索してみた。すると一青窈自身があるインタビューでこう語っているのが見つかった。


 英語タウン インタビューを参照


 しかし、この説明でいくらこの詩の意味を読み解こうとしても絶対に無理がある。
 私は彼女が真実を述べているとは思えない。そしてそれは、私が出した解が正解だとすれば当然の帰結となるのである。

 ネット上では多くの人がこの詩の解釈に挑んでそれぞれの見解を述べていた。
「9.11のテロで亡くなった方の腕が五月に発見され、その腕が空に向かっていた」という恐ろしい話や(その腕は腐敗することもなく八ヶ月も地面に刺さっていたというのか)「テロで崩壊したビルにいた恋人たちの物語」など、どれも詩の一部のみを拡大解釈したようなものばかりで、私と同レベルのすべての歌詞の意味を論理的に説明した解とはなっていなかった。

 結論を述べると、この曲は極めてよくできた推理小説のような作りになっている。意味を解く鍵がすべてその歌詞の中に隠されているのだ。そして方程式のようにその意味のどれか一つが間違っていてもすべてが崩れてしまうのである。

 もしあなたも謎解きがお好きであるのなら、私が出した解を読む前に、先入観を持つことなく、せめて長編の推理小説一冊を読み終える程度の時間をかけて、ご自身でその解釈を試みてみることをお勧めする。
 そしてもし、すべての歌詞の意味が論理的に説明できると思えるようになったら、私の解と比べてほしい。そして違う解であるのならぜひ私にそれを教えてほしい。私自身はあらゆる解釈を試みて、これ以外にあり得ないと結論したのだが、私が見落としている要素もあるかもしれない。

 私は今、この詩はあるたった一人の人だけが解いてくれることを望んだ作者が、暗号(Code)として書いたものだと確信している。
 横溝正史の『金田一耕助シリーズ』に出てくるおどろおどろしいわらべ唄の歌詞など読む者に解けるはずもないが、明らかにこれは深いメッセージが込められた、解くことを目的として書かれたものである。
 ではどうぞ一級品の謎解きをお楽しみください。

 なお、このブログはカテゴリが目次代わりとなっています。

1.序論(このページ)
2.謎
3.解を読む前に
4.解
5.結論
6.インタビュー


の順番で読んでゆくと、徐々に謎が解明されてゆきます。焦らず、考えながら読み進められることをおすすめします。


2.謎へ


金田一耕助の解を読む前に



問.  あなたの解は『水際』の意味をきちんと説明できていますか?



問.  あなたの解は『ミズキの葉を贈る』ことの意味を説明していますか?



問.  あなたの解は『夢』が「叶いますように」ではなく『終わりますように』と述べられていることの意味を説明していますか?



 これらの質問に「はい」と答えることのできたあなたはぜひ次のページをめくり、あなたの解と私の解とが果たして同じであるのか、それとも違っているのかをその目で確かめていただきたい。そして果たしてどの解が最も"真実の響き"を持っているかをご自身で判断していただきたい。

 また、いくら考えても解らなかったという方、解を見てしまえば二度とこの謎解きの楽しみを味わえなくなるが、それでも読みたいと思われるなら、どうぞご遠慮なくご覧ください。



 Wikipedia ハナミズキを参照




ハナミズキ


4.解へ


金田一耕助の解

 この詩の意味を解くためには、まず登場人物を特定しなくてはならない。方程式でいうなら、xやyである。
 一見すると当然、『』(男性あるいは男の子)と『』『君の好きな人』の三人である。『君』は『薄紅色で可愛い』からやはり若い女性か女の子だろう。そして、一青窈は自分とは異なる『僕』の代わりにこの歌を歌っていることになるだろう。
 『僕』は『我慢』し『君と好きな人が 百年続きますように』と願っているから、『僕』は片想いの『君』から身を引いて彼女の幸せを願っているということか。

 しかしそう考えるとおかしな部分が出てくる。

 最後のほうに『母の日になれば、…贈ってください』と出てくる。

 この言葉は当然、母親が自分の子供に述べる言葉である。
 改めて視点を変えて全体を見てみると確かにこれは母親の、成人して好きな人が出来、親離れしてゆく子供に対するメッセージだと見えてこないこともない。
 しかし、母親が自分のことを『僕』と言うのはちょっと不自然である。また意味不明の歌詞が多く残ってしまう。
 『薄紅色の可愛い君』というのは女の子のほか、幼い子供や赤ちゃんも思い浮かべさせる表現である。歌っているのが母親とすれば、赤ちゃんをイメージしている可能性は高い。
 では、何らかの理由で、赤ちゃんと離ればなれに生きてゆかざるを得なくなった母親から愛子へのメッセージか。
 そう受け取れる部分もあるにはある。しかしやはり『僕』という表現が気になるし、意味不明の歌詞は依然として意味不明のままである。

 その意味不明の歌詞の一つに『水際まで来てほしい』というのがある。

 これはいったいどういうことだろう。水際の手前にいるのは誰で、向こうにいるのは誰だろう。どちら側から呼んでいるのだろう。水際の向こう、つまり水の中にいるということは、その人は死んでいるということか。

 では母親はすでに亡くなっているのか。
 水の事故で亡くなったか、入水自殺した母親が天国かどこかから子供の幸せを祈ってメッセージを送っているのか。
 そう考えると『水際』の疑問は解決するかもしれない。だがその視点のまま解釈を進めていっても釈然としない言葉が数多く残る。

 例えば『果てない夢がちゃんと終わりますように』という言葉。
 夢とは「叶う」よう願うものではないか。終わるよう願うということは、果たされずにということだ。ということは、その夢とは次に出てくる『君と好きな人が百年続く』ということではないことになる。

 また、『ミズキの葉、贈ってください』というのも変ではないか。

 母の日に花束を贈ることはあってもただの葉っぱを贈るなんていうことは普通ない。

 逆に子供のほうがすでに死んでしまっているとすればどうか。
 そうすると『君と好きな人が百年続く』はずはない。

 ここで推理は行き詰まってしまう。

 しかし、もはや選択肢はそう多くない。そのことにはとりあえず目をつぶって、この視点でもう一度全体を見てみよう。

 子供はなぜ死んでしまったのだろう…そんなことを考えながら歌詞を追ってみると思い当たる言葉が目に入ってくる。

 『一緒に渡るにはきっと船が沈んじゃう どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

 この歌詞は、一緒に生きてゆくことができないと判断した母親が妊娠を中絶したことを述べているように聞こえないだろうか…。

 母親がおなかの中の赤ちゃんに語りかけている

 この視点は新鮮だ。その可能性を歌詞の始まりから検証してみる。

 『空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと

 なるほど、これは母親が『五月』に妊娠した(あるいは妊娠の事実が判明した)ことをよく表現している。
 ここでそれは、ちょうど土の中で発芽した植物の種が、地面とその上の『空を押し上げ』、芽を外の世界へと伸ばし始めた様子に例えられている。その姿は小さな子供が空に向かって『手を伸ばし』ているかのように見える。

 『どうか来てほしい 水際まで来てほしい

 これは母親の願いである。

 水の中とは母親のおなかの羊水の中であったのだ。

 それは死後の世界ではないかとの推測からこの解釈を進めてきたのだが、この結論に至ったのは怪我の功名だ。少なくともこの時点では母親は赤ちゃんに『水際まで来てほしい』すなわち、外の世界に生まれて来てほしいと願っていた。

 『つぼみをあげよう 庭のハナミズキ

 『つぼみ』とは将来の可能性のことだ。『庭のハナミズキ』を眺めながら、生まれてきた赤ちゃんに母親はすばらしい将来をあげたいと思っていたのだ。

 ここまで驚くほどぴったりの解釈ができた。

 続いてサビの部分が始まる。しかしサビというのは後でまた何度か繰り返されるもので、最後にその意味がわかるというパターンが多い。
 先に二番の歌詞のほうから考えてみよう。

 『夏は暑すぎて 僕から気持ちは重すぎて

 やはりどう考えても母親が自分を『僕』と呼ぶのはおかしい。

 しかし、『僕』と呼ぶ人物は確かに存在する。それは自分の赤ちゃんである

 「僕」「僕ちゃん」といった具合だ。『夏』すなわち八月、妊娠(あるいは妊娠が判明してから)三ヶ月目、猛『暑』のような試練が生じ、母親は産まれてきたいという『僕(男の子だったのだ)から』の『気持ち』を受け止めるのは荷が『重すぎる』と感じるようになる。

 『一緒に渡るには きっと船が沈んじゃう どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

 もはや赤ちゃんを産み、『一緒に』世間の荒波を『渡って』ゆくことはできないと判断した母親は辛い決断をする。赤ちゃんを自分より『先に逝かせる』という決断を。

 次に二度目のサビに入る。最初のサビとは歌詞が異なるが、ここもとばして三番の歌詞を見てゆく。

 『ひらり蝶々を 追いかけて白い帆を揚げて

 『蝶々』は天使の羽をイメージさせる。それを『追いかけ』、旅立って行く先は天国である。

 『母の日になれば ミズキの葉、贈ってください

 葉を贈るというのは変だと感じていたが、これで意味がわかる。
 すなわち、五月の『母の日』の頃、『ミズキの葉』が芽吹くとき母はそれを天国の子供からの『贈り物』と見なし、思い出すということだ。

 何ともぴったり当てはまるではないか。これですべての謎は解けた…

 …のだろうか。

 いや、最後のこの歌詞が残っている。

 『待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ

 これまでの解釈がすべてであるとすると、残念ながらどうしてもこの言葉の意味が理解できない。

 天国にいる赤ちゃんに、「待っててね、お母さんもじきに行くから」ならともかく、待たなくていいとはどういうことか。
 死んだ子供に「自分はもっと長生きするから待ってなくていいよ」というのはあまりに酷い。
 何を知らなくていいと言っているのか。
 「わたしがあなたを殺したという事実なんか知らなくていいよ」というのもこれまた酷すぎる。

 方程式の問題において、90%の正解などありえない。0か100かである。この部分が解明されなければこれまでのすべての解釈は無意味だ。

 しかし、ここでこれまでのアイデアすべてを放棄してしまうにはあまりに当てはまりすぎていた。とりあえずここは先に進み、保留してあったサビの部分の解明に取りかかりたい。

 『薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように

 『夢』が『終わるように』という表現にも引っかかっていたが、これまでの解釈でいくとそれも説明できる。
 おなかの中の赤ちゃんの見ていた『果てない夢』とは、もし生まれてきていたならば追い求めることが出来たであろうすべての夢だ。それが『ちゃんと終わって』ほしいと中絶をした母親が願うのは当然だ。

 だが、ここで再び壁に突きあたってしまう。 

 『君と好きな人が百年続きますように

 死んでしまった赤ちゃんと、赤ちゃんが『好きな人』(考え得る唯一の人は母親)が『百年続く』ことなどあり得ない。
 それにそれは妊娠中絶を決断し、実行した母親の願いであるはずはない。

 やはりこの視点では無理なのか…。

 いや、ここで諦めるわけには行かない。なんとかここを打破する道はないだろうか。

 もう一度、サビの部分に全神経を集中して見てみたい。

薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと終わりますように
君と好きな人が 百年続きますように

 ん?…母親は『君』の『果てない夢』が果たされずに『終わる』ことを願い、同時に『君』と『好きな人』が『百年』『続く』ことを願っている…。
 無限のものが終わり、有限のものが続くように…この完全に対照的な願いは何らかの意図を感じさせないだろうか。

 実はここにこの歌の謎を解く重要な"鍵"が仕組まれているのである。

 ここから先を解き明かすにはこの鍵を使用し、コロンブスの卵的な発想の転換をしなければならない。

 確かにこの二つの願いは正反対の方を向いており、同一人物に対するものであるとすれば矛盾している。

 しかしもし、もし仮に二人の異なった人物に対する別々のメッセージだとすればどうだろう。そう、連立方程式のように…。

 つまり、初めの『君』と後の『君』が別人であるという可能性はないだろうか。

 でもそうだとすると新たな疑問が生じてくる。母親の子ではない別の『君』とはいったい誰か、そしてその『君の好きな人』とはいったい誰かという疑問である。

 どうかよく考えてみてほしい。この歌にある人物が出てこないのはおかしいとは思わないだろうか。

 そう、それはこの赤ちゃんの父親だ。

 さらに、もう一つ考えなければならない重要なことがある。当初は生みたいと思っていた母親がなぜ中絶を決断しなければならなくなったのか、その理由である。

 二番のサビの部分にその答えがある。

 『僕の我慢がいつか実を結び

 『僕』は生まれてきたいという願いを『我慢』した(させられた)。それはどんな『結果』を期待してのことか。

 『果てない波がちゃんと止まりますように

 母親が中絶することによって『波が止まる』ような状況とはいったいどのようなものだろう…。

 そう…

 唯一考えられるのは…

 …不倫だ

 すなわち、この母親はそれによって不倫相手とその妻との『果てなく』続くかに思われたどろどろの三角関係に終止符を打ちたいと思ったのである。

 そう考えれば何の疑問もなくこの歌詞の意味が理解できるようになる。

 『君と好きな人が 百年続きますように

 ここで語りかけている『君』とは不倫相手のことであり、『君の好きな人』とはその妻(あるいはその本妻の子かもしれない)である。
 母親は自ら身を引くことにより、不倫相手とその妻との間の『波』風が収まって、その関係が『百年』すなわち末永く『続いて』ゆくことを願ったのだ。(「永遠に」でないところはやはり女心か)

 これであの最後の言葉の謎も解くことができる。

 『待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ

 これは天国の赤ちゃんに対するものではなく、不倫相手に対するメッセージだったのだ。つまり、

「私はもうあなたのもとには戻らないから、待たなくてもいいよ

「私が赤ちゃんを堕ろしたことなんて、知らなくてもいいよ

 というわけだ。
 彼女は妊娠の事実を不倫相手には教えることなく、中絶し、別れることを自ら申し出た…。

 これが私の導き出したこの歌の謎の解である。

 どうかこれらの解釈を当てはめ、もう一度最初からすべての歌詞を追ってみてほしい。
 すべての言葉が、すべての言い回しや表現が、そのあるべき場所にぴったりと、完璧に収まっていないだろうか。
 完成された方程式の解のように…。

 当然、この母親は一青窈本人であろう。
 彼女は生涯決して不倫相手に妊娠の事実は告げるまいと決意したものの、それでもやはり知ってほしいという想いを捨てきれず、この歌詞に暗号としてメッセージを忍ばせたとしても何ら不思議はない。

 序論で紹介したとおり、彼女自身は9.11テロのことや、アメリカから贈られた花水木に関する逸話との関連を述べている。
 しかし彼女が述べていることが真実であるのなら、なぜ誰もが理解できるような言葉でそれを書かなかったのだろうか。
 なぜこの詩について漠然としたことしか語らず、解りにくい個々の言葉の意味を説明しようとしないのだろうか。

 さらに彼女は明らかにわざわざこの歌を聴く人が混乱するような書き方をしている。
 これは聴く人が自由にイメージを膨らませられるように、といった書き方ではない。むしろ逆にイメージを途切れさせ、戸惑わせ、感情移入を妨げさせるものだ。
 なぜ彼女はこのような書き方をしなければならなかったのだろうか。
 もし本当に彼女が自ら言っているようなメッセージを伝えたいと思っていたとするなら、このようなことはすべてマイナスにしかならない。

 実際、この詩の中に出てくるのは五月と八月だけであり、九月を連想させるものは何もない。
 またアメリカから贈られた花水木について述べるなら、それが贈られるきっかけとなった日本から贈られた桜について何も語られていないというのも腑に落ちない。
 何とかそれらの視点からこの詩を読み解こうとしたが結局出来なかった。

 彼女のコメントは他の人にその本当の意味を悟られないためのカムフラージュだと私はみている。

 それでも最後に一言だけこう本心を語っていた。

『「ハナミズキ」は自分の大切なひととその人の好きな人がせめて100年続けばいい、そういう願いを込めて創りました』

 そう、彼女は告白している。『自分の大切な人』の『好きな人』が自分ではないこと、その人を想ってこの曲を作ったことを。

 ちなみに彼女は最近、離婚した不倫相手と結婚したことが報じられているが、その相手との関係はこの詩を書いた後からのもののようである。だとすればおそらくこの詩の中の相手とは別人であろう。
 ただ彼女に不倫の前科ならぬ"後科"があるというのは事実だ。

 しかし、心地よいメロディーで美しい歌詞のヒットソングの中にかくも悲しく、暗いメッセージが込められているという結論に至ったのはやはりショックだった。
 私はもはやこの歌を口ずさむ気にはなれない。
 確かに優れた推理小説ではあったが、その結末は何とも哀しい、救いのないものだった、といったところだろうか。

 さて、あなたの導き出した解はどのようなものだっただろう。
 願わくは、もっと明るい、もっと希望の持てる解が発見されたことを期待している。



5.結論へ


結論

 ついにおどろおどろしいわらべ唄の意味が解き明かされ、それと同時に犯人の哀しく、切ない心の内も明らかになる。犯人は自らを裁き、探偵は知ってしまったすべてのことを胸に秘め、事実を公表することなく立ち去ってゆく…。
 横溝正史の『金田一耕助シリーズ』お決まりのラストである。

 私もまたこの歌に秘められた謎を解明したとき、果たしてそれを公開すべきか迷った。

 もし、作者がこの歌をあくまでプライベートなものとして創り、せめて自分のコンサートで歌うといったものに止めていたとしたら、おそらく私も物語の探偵のように行動していたに違いない。
 しかし、彼女はこの歌を人気TVドラマのタイトル曲として広く一般に公開し、莫大な収益を上げ、今なお上げ続けている。
 そう、彼女はこの歌に込めた想いを"秘める"ことではなく"売る"ことを選んだのだ。

 消費者には権利がある。
 近年、食品の偽装が大きな社会問題となっている。食品を買う消費者にはその中にいったい何が含まれているかを知る権利がある。「買った人は喜んで食べているのだから、その中に何が含まれていようが、内容表示を偽ろうがかまわないではないか」という論理など決して許されるようなことがあってはならない。

 歌も同じである。
 それを買う人にはその中にどんなメッセージが込められているかを知る権利がある。
 以前の私自身を含め私の周囲には、この歌が好きだという人が多くいる。インターネットの書き込みをみると、ほとんどの人は「9.11」や「親善友好のシンボルとしての花水木」といった"内容表示"を信じ、「自分を犠牲にしても大切な人の幸せを願う崇高な精神に共感した」といったようなことをみな異口同音に述べている。中には「感動して涙が止まりません」という人さえいた。
 しかしそれらの人たちは、もし、作者が犠牲にしたのは自分ではなく、自分の赤ちゃんであるということを知ったとしても、それでも同じようにこの歌に共感できるだろうか。同じように感動の涙を流すことができるだろうか。
 できる、という人もおられるだろう。しかし私を含め、できない、という人も数多くいるに違いない。少なくともそれらの人たちには、この歌を買う前に、聴く前に、唄う前に、それを知る権利があるはずだ。

 私には一青窈さんを中傷する意図など全くない。
 もし、私の公開した解が誤りであり、彼女の名誉を損ない、傷つけたとすれば、心から謝罪したい。
 できれば私自身、自分の出した解が誤りであると思いたい。それを証明できる人がぜひとも現れてほしいものである。私が出した解以上に論理的で納得の出来る解が提出されるなら、私はそれを受け入れることにやぶさかではない。

 願わくは一青窈さん自身がそれを行ってほしい。彼女は唯一"正解"を知っているのだから。それが、より美しく、より崇高なものであることを私を含む多くのファンは心から願っている。


  二〇〇七年十一月九日
  
                     探偵  金田一耕助





6.インタビューへ


検索フォーム
QRコード
QR
リンク
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数: